ロナルド・バーネット教授講演録|第3回/全5回|緊張関係、三つの領域、大学の統一

ロナルド・バーネット教授講演録の第3回。緊張関係と解消不能な対立、シビック・グローバル・エコロジカルな領域、多元的状況、大学の統一を、スライド13〜18とともに収録します。

スライド13――緊張関係と解消不能な対立

スライド13 緊張関係と解消不能な対立、日本語版
Slide 13, tensions and antagonisms, English original
[スライド13――緊張関係と解消不能な対立]

私は、ここには重大な緊張関係と解消不能な対立があると考えています。そして、少なくとも私が理解する限り、それらは、日本で発展しつつある政策枠組み、あるいは高等教育制度の中にも潜んでいると思います。

一方には、特定された目標に向かって物事を実行するという、手段志向的な姿勢があります。

他方には、人間と社会の豊かな発展を重視する姿勢があります。

私が講演前に共有していただいた政策文書の一つを読んで、非常に興味深いと思ったことがあります。日本の政策関係者は、高等教育において重要で価値のあるものが、すべて測定できるわけではないと認識しています。

私は、それを素晴らしいことだと思いました。残念ながら、世界各国の政府において、常にそのような考え方が見られるわけではありません。多くの場合、政府は、高等教育において価値のあるものは、すべて測定できる、したがって測定されなければならない、と考えるようになっています。

手段志向が支配的になる一方で、人間的・知的な豊かな発展への関心は、たとえ多少は語られていても、はるかに弱くなっています。ここには、根本的な一連の対立があります。

さらに、一方には成長、すなわち経済成長と、他方には保全との間にも対立があります。

保全とは、私たちが世界に持っているものを守ることに関わります。

例えば、持続可能性という考え方全体は、ある意味では保守的な考え方です。

それは、成長という課題全体に対抗する方向へ働きます。それにもかかわらず、私たちは、成長と持続可能性の両方を同時に追求しています。これは、非常に深い緊張関係です。

さらに、大学を批判的思考の中心とみなす考え方と、大学を社会の期待を支持し実現する主要な手段とみなす考え方との間にも、大きな緊張関係があります。時には、社会の期待そのものが、批判されるべき場合もあります。

したがって、大学は今、世界各地で難しい立場に置かれています。大学は、批判的な中心であるという課題と、社会や経済が求めるものを概ね提供すべきだという期待との間に挟まれています。

ニュージーランドでは、大学は法律によって「社会の批判者かつ良心」としての役割を担うことを求められています。同時に、社会の期待を支持し、支え、それに誠実に応え、さらにはその期待を活性化することさえ求められています。

しかし、社会の側の期待そのものが批判される必要もあります。そして、ときに政府や社会は、そのような批判を聞くことを望みません。

次に、テクノロジーと文化の問題があります。ここでも私は、日本の政府組織において、高等教育を所管する省の名称に「文化」という言葉が含まれていることを、非常に興味深いと感じました。すなわち、文部科学省(Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology)です。そこには、非常に幅広い責任領域が含まれています。そして重要なのは、「文化」という言葉が、その名称に入っていることです。

科学技術と並んで、文化があります。実際には、文化は科学技術よりも前に置かれています。これは、世界的に見ても非常に珍しいことです。それは、テクノロジーの時代にあっても、文化がなお重要であるという希望、期待、信念を表しています。しかし、テクノロジーと文化との間には緊張関係があります。ときに、その緊張関係は、実際の解消不能な対立へと変わります。つまり、両者の非両立性があまりにも深く、克服することができない状況です。

一方でテクノロジーが求めるものに応えながら、他方で文化や人間に対する配慮と繊細さを、同時に十分に守ることはできません。最終的には、一方が他方を押しのける可能性があります。これらは、解決することのできない対立です。これからも続いていきます。こうした解消不能な対立を、解決する方法はありません。私たちは、それらと共に生きなければなりません。

例えば、皆さんの大学に、シビック・エンゲージメント担当副学長、SDGs担当副学長、グローバル事業担当副学長、AI担当副学長がいると想像してください。

問題は、こうです。

彼らは、互いに話し合う必要があるのでしょうか。もしあるとすれば、何について話すのでしょうか。彼らに共通する課題は、何かあるのでしょうか。これは、マネジメントとリーダーシップにとって、現実に存在する難問です。

かつての私は、研究担当副学長と教育担当副学長が互いに話す必要があるのか、と尋ねたかもしれません。両者の間には、どのようなつながりがあるのでしょうか。しかし今日では、大学がその複雑さのすべてにおいて社会と関わろうとする中で、大学内部の断片化は、はるかに広範で、重要で、深刻で、困難なものになっています。

スライド14――シビックな領域

スライド14 シビックな領域、日本語版
Slide 14, the civic, English original
[スライド14――シビックな領域]

大学が直面する三つの主要な領域として、私がシビック、グローバル、エコロジカルを提示していることを思い出してください。

まず、シビックから始めて、この三つの課題の中に、それぞれどのような言語や文化が存在するのかを見ていきましょう。

シビックな領域には、どのような価値があるのでしょうか。

どのような考え方があるのでしょうか。

この課題を真剣に受け止める大学にとって、どのような概念がシビックな課題の一部となるのでしょうか。

そこでは、公共への奉仕、地域社会との連携、地域のウェルビーイング、さらには地域社会の豊かな発展や、地域への誇りといった考え方が語られます。

地域社会の声に耳を傾けること、地域社会に対して寛容であること、地域社会を理解すること、そして地域社会に共感を示すことが重視されます。

地域や地方に暮らす、より貧しい人々や、不利な立場に置かれているコミュニティにも関心を向けるようになります。

さらに、物事を迅速に実行したいという要請もあります。

地域社会と共に行う活動が実効性を持つためには、分散型リーダーシップの形が必要です。そこでは、地域との協働によって進められるプロジェクトの中からリーダーシップが生まれ、地域社会自身が当事者意識を持つことができるようになります。

そのため、「場所」という概念が非常に興味深いものになります。その場所は、どこにあるのでしょうか。大学の中にあるのでしょうか。それとも、地域社会の中にあるのでしょうか。

このように、シビックな課題は、西洋でいうところの、それ自体で一つの独自の世界となります。

スライド15――グローバルな領域

スライド15 グローバルな領域、日本語版
Slide 15, the global, English original
[スライド15――グローバルな領域]

グローバルな領域は、異なる種類の地平、異なる関係主体、異なる言語、そして異なるあり方を示します。大学のグローバルな課題に関心を持ち、それに責任を負う副学長は、シビックな領域とは異なる世界の中で活動します。

この副学長は、大学を国際的に発信していく中で、大学が独自の財源と可能性を持ち、他国、他大学、そして世界の大企業との間で取引関係を築く、いわば民間企業のような存在になっていくことを理解しています。そこでは、非常に多くの活動が行われます。他大学、他国、そして大企業との間で、覚書(MOU)が次々と締結されます。

この副学長が重視するのは、別の種類の優先事項です。

  • 大学の財源を拡大すること
  • ビジネスモデルを構築すること
  • 今後20年、30年にわたる大学のシナリオを描くこと

ここでの関心は、大学の世界大学ランキング上の位置だけではありません。大学の正統性や、世界における位置付けも問題となります。大学は、世界からどのように理解されているのでしょうか。

ここでは、リーダーシップは、より上意下達的なものになります。この副学長は、いわばすべてを知り、すべてを見通し、世界における大学の位置を理解しながら、組織全体に対して上からのリーダーシップを行使する存在になります。

スライド16――エコロジカルな領域

スライド16 エコロジカルな領域、日本語版
Slide 16, the ecological, English original
[スライド16――エコロジカルな領域]

次に、エコロジカルな領域、すなわちエコロジカルな課題について考えましょう。

ここでもまた、独自の価値と概念を持つ、別の種類の領域、別の種類の課題に出会います。この領域では、現在の状態をそのまま延長するのではなく、大学の新たな可能性を想像することによって、未来をまったく異なる仕方で考えます。大学が置かれているエコシステムの状況の中で、新しい種類の大学を構想しようとします。そして、そのエコシステムの状況は、大学ごとに異なります。

この驚くほど相互に結びつき、動態的で、進化し続ける世界の中で、この大学にはどのような可能性があるのでしょうか。また、別の大学には、どのような可能性があるのでしょうか。

そのため、この副学長には、はるかに豊かな構想力が求められます。その役割は、大学の価値とは何かを問い、その価値を新たな仕方で実現できるのかを想像するという意味で、ほとんど哲学的であり、詩的ですらあります。それは、超越的なものにさえなります。そして、私たちを日本の文化や哲学へと連れ戻すかもしれません。

日本の伝統とは、何でしょうか。かつて、それはどのようなものだったのでしょうか。現在、それはどのようなものなのでしょうか。21世紀において、それをどのように実現できるのでしょうか。

例えば、日本に存在する、自然への並外れた配慮を考えるとき、今日それに応えるとは、どのような意味なのでしょうか。

これは、根本的な問題です。そこには、人間を超えた世界、すなわち超越的な世界への感覚があります。大学は、それをどのように受け止めていくのでしょうか。

さらに、私たちは、複雑に入り組んだ考え方や価値と共に、大学を批判的行為主体として捉える考え方に出会います。つまり、大学が、社会に省察を促し、社会が自らを批判的に捉えることを助ける存在になるという考え方です。

私たちは、大きな力が私たちに進むよう求める方向へ、ただ一直線に進んでいくのでしょうか。それとも、立ち止まって考えるための空間をつくり、社会もまた立ち止まり、省察できるようにするのでしょうか。社会が、学習社会になることを助けるのでしょうか。

今日、多くの人々が、世界が向かっている方向に不安を抱いています。中には、この地球上の諸システムが完全に破壊される、アルマゲドンについて語る人さえいます。

それでも、私たちは希望を持つことができるのでしょうか。こうした状況を背景として、希望を持つとは、どのような意味なのでしょうか。現在、一部の大学では、このエコロジカルな地平の中で大学がどのように前へ進むことができるのかについて、はるかに豊かな構想力をもって考えるための空間や部門を、設け始めています。

スライド17――多元的状況

スライド17 多元的状況、日本語版
Slide 17, a multiplicitous situation, English original
[スライド17――多元的状況]

この状況は、私たちが「多元的状況」と呼ぶことのできるものです。

複数の使命。

複数の世界。

複数の領域。

複数の言語。

複数の関心と利害。

そして、複数の価値です。

大学は、これらすべてのあり方を、これらすべての領域において、同時に生きなければなりません。これは、新しい形のマルチバーシティです。

私の大切な友人であり、師でもあったトニー・ベッチャーは、1989年に『Academic Tribes and Territories』という著名な本を著しました。その中で彼は、大学内部に存在する学問上の部族と領域を明らかにしました。哲学、社会学、生物学、テクノロジーの研究者たちは、それぞれが異なる領域、言語、文化の中に生きているため、互いに十分に対話することができませんでした。

しかし今日、この課題は、はるかに大きなものになっています。なぜなら、大学は、地域、グローバル、エコロジカルという、これらすべての外部領域の中に生きなければならないからです。これは非常に困難な状況です。これらの領域は、それぞれが独自の言語と期待を持つ、異なるコミュニティによって構成されているからです。

スライド18――統一はどこにあるのか

スライド18 統一はどこにあるのか、日本語版
Slide 18, where’s the unity?, English original
[スライド18――統一はどこにあるのか]

そこで、次の問いが生じます。

このすべての中に、統一はどこにあるのでしょうか。そもそも、統一は可能なのでしょうか。

問題は、統一などまったく存在しないかもしれないということです。それが、私たちが生きなければならない世界なのかもしれません。

先ほど示した、あれらすべてのメガ・エコシステムに直面する中で、私たちは、統一がまったく存在しないほど混然とした状況に置かれている可能性があります。これは、私が「超複雑性」と呼ぶものの、根本的な混然性です。異なる言説。異なる言語。そして、そのどれもが、互いに合意することができません。それが、今日、大学であることの課題です。

このような条件の下で、大学の組織的断片化は避けられないのでしょうか。それが、私たちの前にある問いです。

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