大学は誰のために存在するのか

高等教育は、個人の職業的成功のためだけに存在するのではない。UNESCOの最新報告書が示す七つの指導原則を手がかりに、AI、格差、学問の自由、持続可能性の時代における大学の目的を考える。

UNESCO『高等教育の変革――ビジョンと行動のためのグローバルな協働』を読む

目次

はじめに

大学は、社会の変化に対応するための機関なのだろうか。それとも、社会が向かうべき方向そのものを問い直すための機関なのだろうか。

人工知能の急速な発展、気候変動、生物多様性の喪失、戦争と地政学的対立、民主主義の後退、社会的不平等の拡大、そして働き方の大規模な変化。現代の大学は、こうした複雑で相互に関連した問題のただ中に置かれている。

UNESCOが2026年3月に公表した報告書、

Transforming Higher Education: Global Collaboration on Visioning and Action

は、この問いに対する国際的な回答を示そうとするものである。

日本語に訳せば、『高等教育の変革――ビジョンと行動のためのグローバルな協働』と表現できるだろう。

この報告書の中心的な主張は明快である。

高等教育には社会を変革する力がある。しかし、その力を十分に発揮するためには、まず高等教育そのものが変革されなければならない。

報告書は、大学改革を単なる組織効率化や教育方法の改善として捉えていない。大学の目的、知識のあり方、教育へのアクセス、研究の自由、デジタル技術との関係、社会との協働、持続可能性、そして「質」や「卓越性」の意味そのものを問い直している。

その意味で、本報告書は個別の政策提言というよりも、21世紀の大学の存在理由を再構築しようとする、グローバルな思想的・政策的ロードマップである。

1 報告書が生まれた背景

本報告書は、2022年5月にスペインのバルセロナで開催された第3回UNESCO世界高等教育会議の成果を基礎としている。

世界高等教育会議は、ほぼ10年に一度開催され、高等教育の将来について、政府、大学関係者、研究者、学生、国際機関、市民社会などが議論する国際的な場である。

2022年の会議には、世界各地から多数の関係者が参加し、公平性、包摂性、教育の質、国際移動、大学のガバナンス、財政、持続可能な開発、知識生産、高等教育の未来などが議論された。その成果として、「限界を超えて――高等教育を再発明する新たな方法」と題するロードマップが提示された。2026年の新報告書は、それをその後の国際的協議によって発展させたものである。

現在、世界の高等教育在学者数は約2億6,900万人に達している。2000年には約1億人であったことを考えれば、高等教育はこの四半世紀で急速に拡大した。国境を越えて学ぶ学生も約700万人規模に増加し、高等教育はかつてないほど大規模で国際的な制度となっている。

しかし、量的拡大は、そのまま教育機会の公平性や教育の質を意味するわけではない。

国や地域、所得、性別、社会的背景によって、高等教育へのアクセスにはなお大きな格差がある。大学の拡大が、不平等の縮小ではなく、既存の格差の再生産につながる可能性もある。

また、大学の数と学生数が増える一方で、大学は財政的圧力、市場競争、政治的介入、学問の自由への脅威、AIを含む技術的変化などに直面している。

こうした状況のもとでUNESCOは、部分的な制度改正や漸進的な改善だけでは不十分であり、高等教育の基本原理そのものを再検討する必要があると主張している。

2 高等教育を「権利」と「世界的な共通善」として捉える

報告書の根底にあるのは、高等教育に対する二つの重要な考え方である。

第一に、高等教育は、限られた人々だけが享受する特権ではなく、生涯にわたって質の高い教育を受ける権利の一部であるという考え方である。

第二に、高等教育は、個人の所得や職業的成功のためだけに存在するのではなく、社会全体、さらには人類全体に利益をもたらす世界的な共通善であるという考え方である。

この位置づけは重要である。

近年、大学教育はしばしば「投資」として語られる。学生は授業料と時間を投資し、その見返りとして学位、技能、雇用可能性、将来所得を獲得する。政府もまた、高等教育を経済成長や産業競争力を支える人的資本政策として捉える傾向が強い。

もちろん、大学が学生の職業的能力を育て、社会と経済の発展に貢献することは重要である。

しかし、高等教育を個人的な投資や労働力育成の手段としてのみ理解するならば、大学が担ってきた公共的役割の多くが見失われる。

大学は、既存の社会に適応できる人材を育てるだけではない。

社会が当然視している価値や制度を問い直し、まだ存在していない可能性を構想し、公共的な議論を支え、知識を次の世代に引き継ぐ場でもある。

UNESCOが高等教育を「共通善」と表現する背景には、大学を市場における教育サービスの供給者に還元してはならないという認識がある。

大学で生み出される知識は、学生や大学だけの所有物ではない。その知識は、医療、環境、文化、民主主義、平和、地域社会などを通じて、大学に直接所属していない人々にも影響を与える。

したがって、大学の価値は、卒業生の就職率や所得だけでは測定できない。

3 七つの指導原則

報告書は、高等教育の将来を方向づけるものとして、相互に関連する七つの指導原則を提示している。

3.1 公平性と多元性のために資源を投入する

第一の原則は、公平性と多元性に資源を投入することである。

大学への入学機会を形式的に開くだけでは、公平な高等教育は実現しない。

経済的に困難な学生、地方や農村部の学生、障害のある学生、難民、移民、先住民、成人学習者などが、実際に大学へ入り、学び続け、修了できるためには、奨学金、学生支援、柔軟な教育制度、適切な学習環境が必要になる。

ここで重要なのは、公平性が付随的な福祉政策ではなく、高等教育の質そのものを構成する原理とされている点である。

多様な背景を持つ人々が大学に参加することは、単に社会的に望ましいだけではない。それは大学で交わされる問いや知識を豊かにする。

多元性とは、異なる人々を同じ制度に受け入れることだけを意味しない。異なる経験、文化、知識、価値観が、教育と研究の形成に参加できることを意味する。

3.2 学び、教え、研究し、国際的に協働する自由を守る

第二の原則は、学習、教育、研究および国際協力の自由を促進することである。

学問の自由は、大学の最も根本的な条件の一つである。

研究者が政治的・経済的権力にとって不都合な問題を研究できなければ、大学は真理を探究する機関ではなくなる。教員が公的議論の対象となっている問題を自由に教えることができなければ、教育は知的探究ではなく、既存の価値観の伝達に変わる。

学生の学ぶ自由も同様に重要である。

学ぶ自由とは、単に科目を選択する自由だけではない。既成の答えを疑い、異なる立場に触れ、自らの考えを形成する自由である。

また、UNESCOが国際協力の自由を明記していることにも注目すべきである。

知識は本来、国境を越える。気候変動、感染症、AI、移民、戦争、経済的不平等といった問題は、一国の大学だけでは十分に研究できない。

しかし現実には、地政学的対立、研究安全保障、査証規制、制裁、国家間の不信などによって、国際的な学術交流が制約されつつある。

大学の国際化は、留学生数を増やすための経営戦略ではない。それは、知識の自由な交流を守り、異なる社会の間に知的な架け橋を築くという、大学の公共的使命の一部である。

3.3 探究、批判的思考、創造性を育てる

第三の原則は、探究、批判的思考、創造性を育成することである。

この原則は、大学教育の中心が、情報の伝達ではなく、問いを立てる能力の形成にあることを示している。

AIが大量の情報を処理し、文章や画像、プログラムを生成できる時代には、知識を記憶し、再現する能力だけでは十分ではない。

何が重要な問いなのか。

提示された情報は信頼できるのか。

そこにはどのような前提や価値判断が含まれているのか。

別の見方は可能ではないか。

その知識をどのような目的のために使うべきなのか。

こうした問いを考える力が、大学教育の中心にならなければならない。

批判的思考は、単に他者の主張を否定する技術ではない。自分自身の前提を疑い、異なる立場に耳を傾け、根拠に基づいて判断を修正できる能力である。

創造性もまた、産業上のイノベーションに限定されない。社会の新しい可能性を想像し、既存の制度や価値観を別の仕方で構想する能力を含む。

大学は、正解を効率的に教える場所から、まだ答えのない問題について考える場所へと、その教育の重心を移さなければならない。

3.4 デジタル技術とAIを人間中心に位置づける

第四の原則は、デジタル技術と人工知能に、人間中心の役割を与えることである。

ここでUNESCOは、技術の導入そのものを大学改革とはみなしていない。

AIを導入すれば教育が自動的に改善されるわけではない。オンライン教育を拡大すれば、教育へのアクセスが自動的に公平になるわけでもない。

技術が何を可能にするかだけでなく、それが誰のために、どのような目的で、誰の統制のもとに使われるのかを問う必要がある。

AIは、学習支援、翻訳、研究分析、個別化教育、教育機会の拡大など、多くの可能性を持つ。

一方で、教育格差の拡大、監視、個人情報の利用、アルゴリズムによる偏見、知的依存、学習過程の空洞化、巨大テクノロジー企業への依存といった危険も伴う。

したがって、問われるべきなのは、「大学がAIを導入するかどうか」ではない。

問われるべきなのは、

AIの時代に、人間が学ぶとは何を意味するのか

ということである。

大学は、AIを使いこなす技能を教えるだけでなく、AIが生み出す知識や判断を批判的に検討し、その社会的・倫理的影響を考える能力を育てる必要がある。

人間中心という言葉は、単に人間を技術より上位に置くことを意味しない。

それは、人間の尊厳、主体性、責任、相互理解、創造性を、技術の設計と利用の基準に据えることである。

3.5 協働と連帯の倫理を受け入れる

第五の原則は、協働と連帯の倫理を受け入れることである。

現代の大学は、競争によって動かされている。

大学ランキング、研究資金、優秀な学生、国際的評価、論文数、外部資金などをめぐり、大学間、研究者間、国家間で競争が行われている。

競争が研究や教育の改善を促す場合もある。

しかし、競争が大学の中心原理になると、知識は共有されるものではなく、囲い込まれる資源となる。豊かな大学と資源の乏しい大学との格差が拡大し、地球規模の問題に対する協力が難しくなる。

UNESCOが求めているのは、競争を完全に廃止することではない。

大学の基本的な関係原理を、競争から協働へと転換することである。

それには、大学間の協力だけでなく、政府、地域社会、市民団体、学校、企業、国際機関との協働も含まれる。

ただし、協働は単なる産学連携や組織間のネットワークづくりではない。

協働には、異なる立場の人々が互いの知識と経験を尊重し、共通の課題に共同で責任を負うという倫理的側面がある。

この点で、本報告書の「協働」は、大学の活動方法であるだけでなく、大学が体現すべき価値でもある。

3.6 持続可能性、スチュワードシップ、再生を中心に置く

第六の原則は、持続可能性、スチュワードシップ、再生を中心に据えることである。

大学は長らく、自然環境を研究対象として扱ってきた。しかし気候危機と生態系の破壊が深刻化する現在、大学は自然について研究するだけでは足りない。

大学自身が、生態学的責任を負う主体にならなければならない。

ここで使われるスチュワードシップとは、人間が自然や社会を所有し、自由に利用するという考え方ではなく、それらを預かり、守り、次の世代へ引き継ぐ責任を意味する。

さらに報告書は、単なる「持続可能性」を超えて、「再生」という考え方を提示している。

持続可能性が、現在の状態をこれ以上悪化させず維持することを意味するとすれば、再生は、すでに損なわれた自然環境や社会的関係を回復させることを意味する。

大学は、環境負荷を減らすだけではなく、地域の生態系、社会、文化、民主的関係の再生に積極的に関与することが求められる。

この原則は、ロナルド・バーネットが提唱してきた「エコロジカル・ユニバーシティ」の構想とも深く響き合う。

大学は、自らの利益や存続だけを追求する閉じた組織ではなく、人間社会、自然界、知識世界、未来世代との相互関係のなかに存在している。

大学の目的は、世界を外部から分析することではなく、自らもその世界の一部として責任を引き受けることにある。

3.7 質、卓越性、適切性をより豊かに理解する

第七の原則は、質、卓越性、適切性について、より豊かな理解を支えることである。

大学の「質」は、しばしば数値によって測定される。

論文数、被引用数、研究資金、就職率、学生満足度、国際ランキングなどである。

これらの指標は一定の情報を提供する。しかし、大学の価値全体を示すものではない。

例えば、地域社会の課題に長期的に取り組む研究は、国際的な被引用数では評価されにくいかもしれない。少人数で行われる丁寧な教育は、大規模で効率的な教育よりも費用がかかる。人文学的研究の社会的価値は、短期的な経済効果として表れない場合が多い。

「卓越性」という言葉も、慎重に検討する必要がある。

卓越性が、ごく少数の大学や研究者を選別し、資源を集中させるための言葉となれば、高等教育全体の格差を拡大する可能性がある。

誰にとっての卓越性なのか。

何のための質なのか。

どの社会的課題に対する適切性なのか。

UNESCOが求める「豊かな理解」とは、評価を放棄することではない。

大学を測定可能な成果だけで判断せず、その公共的、文化的、倫理的、生態学的価値を含めて評価することである。

4 三つのレベルにおける変革

報告書は、七つの原則を理念として掲げるだけでなく、変革を進める領域を、主として三つのレベルに分けている。

第一は、高等教育制度全体のレベルである。

政府の政策、財政、質保証、資格認定、学生支援、国際協力などを見直し、高等教育を公平で持続可能な制度として再構築する必要がある。

第二は、大学などの高等教育機関のレベルである。

大学の使命、ガバナンス、組織文化、研究評価、地域社会との関係、教職員の働き方などが問われる。

第三は、学習のレベルである。

カリキュラム、教育方法、学生と教員の関係、学習評価、デジタル技術の利用などを変革し、学生を知識の受動的な受け手ではなく、学習と知識形成に参加する主体として位置づける必要がある。

この三層構造が示しているのは、教育方法だけを変えても、大学は変わらないということである。

例えば、教員が革新的な授業を行おうとしても、大学の評価制度が論文数だけを重視し、教育に時間をかけることを評価しなければ、その試みは持続しない。

大学が地域社会との協働を掲げても、政府の財政制度や大学ランキングが国際論文と学生数だけを評価するならば、地域に根ざした活動は周辺化される。

したがって、高等教育の変革には、政策、組織、教育実践を相互に連動させる必要がある。

5 大学の目的について、この報告書は何を語っているのか

UNESCOの七原則を総合すると、本報告書が描く大学の目的は、少なくとも五つに整理できる。

第一に、知識を生み出し、継承すること

大学は、研究と教育を通じて、人類の知識を発展させ、次の世代に受け渡す。

しかし知識は、それ自体が中立的な蓄積物ではない。

どのような問題を研究するか、誰の知識を正統なものとして認めるか、研究成果を誰が利用できるかという選択には、社会的・倫理的判断が伴う。

第二に、人間の知的・倫理的能力を育てること

大学教育は、職業技能を与えるだけでなく、批判的に考え、他者と対話し、自らの判断に責任を持つ人間を育てる。

この目的は、AIが多くの知的作業を代行するようになるほど、むしろ重要になる。

第三に、社会の公共的基盤を支えること

大学は、民主的な議論、科学的理解、文化的記憶、社会的信頼を支える。

大学が独立した知的空間を失えば、社会は短期的な政治的・経済的利害を超えて考える場所を失う。

第四に、地球規模の問題の解決に貢献すること

大学は、気候変動、感染症、平和、貧困、不平等、AIなど、単独の専門分野や国家では解決できない問題に取り組む。

そのためには、学際的かつ国際的な協働が不可欠である。

第五に、より望ましい未来を構想すること

大学は、現在の社会に必要な人材を供給するだけの機関ではない。

まだ存在しない社会の可能性を想像し、その実現に必要な知識、価値、行動を生み出す場である。

この意味で、大学は過去の知識を保存する機関であると同時に、未来を構想する機関でもある。

6 本報告書の意義

本報告書の最大の意義は、大学改革の議論を、効率、競争力、雇用可能性といった狭い枠組みから解放している点にある。

今日の高等教育政策では、大学が経済社会にどれだけ役立つかが強く問われる。

しかしUNESCOは、その問いを反転させる。

大学が既存の社会にどう役立つかだけでなく、大学はどのような社会の形成に責任を持つのか。

大学が労働市場にどう適応するかだけでなく、労働や経済のあり方自体を大学はどのように問い直すのか。

大学が技術をどう利用するかだけでなく、技術が人間と社会に何をもたらすべきかを誰が判断するのか。

こうした問いが、本報告書の背景にある。

また、公平性、学問の自由、批判的思考、AI、協働、持続可能性、質の再定義を、個別の政策課題としてではなく、相互に関連する一つの大学像として示した点も評価できる。

公平性を欠いた卓越性は、一部の人々だけの卓越性になり得る。

学問の自由を欠いた社会貢献は、権力への奉仕になり得る。

批判的思考を欠いたAI活用は、人間の判断を技術に委ねることになり得る。

協働を欠いた国際化は、大学間の市場競争になり得る。

持続可能性を欠いたイノベーションは、将来世代に負担を残し得る。

七つの原則は、このように互いを支え、同時に互いを制約している。

7 残されている課題

一方で、本報告書には検討すべき課題もある。

7.1 理念を誰が実行するのか

報告書が示す原則は広範であり、多くの人が賛同できる内容である。

しかし、理念をどのような制度と財源によって実現するのかは、それほど明確ではない。

公平なアクセス、学問の自由、質の高い教育、国際協働、持続可能性を実現するには、相当な公共的投資が必要になる。

大学に変革を求めながら、政府が財政支援を縮小し、大学に市場収入への依存を強いるならば、理念と現実は矛盾する。

高等教育を共通善と位置づけるのであれば、それを支える公共的責任も明確にしなければならない。

7.2 異なる価値の間の緊張をどう扱うのか

七つの原則は常に調和するとは限らない。

学問の自由と社会的責任。

地域への貢献と国際的卓越性。

教育への幅広いアクセスと、限られた資源。

デジタル教育による機会拡大と、人間的な教育関係。

大学は、こうした緊張を避けることはできない。

重要なのは、すべての価値を同時に満たせるかのように語るのではなく、価値の対立を公開された議論の対象にすることである。

7.3 大学固有の役割は何か

報告書は、大学に多くの社会的役割を求める。

しかし、大学があらゆる社会問題の解決を担おうとすれば、大学固有の使命が曖昧になる危険もある。

大学は政府でも、企業でも、慈善団体でも、政治運動でもない。

大学の社会的貢献は、研究、教育、批判的探究、知的対話という大学固有の方法を通じて行われなければならない。

大学の目的は、社会の要求に直接応えることだけではない。

時には、社会がまだ重要性を認識していない問いを提起し、短期的には役に立たないと見える研究や教育を守ることも、大学の責任である。

8 日本の大学への示唆

本報告書は、日本の高等教育にも重要な問いを投げかけている。

日本では、18歳人口の減少、地方大学の経営問題、国際競争力、研究力の低下、産業界が求める人材との不一致などが、大学改革の主要課題として語られている。

これらは現実的かつ重要な問題である。

しかし、大学改革が、大学の統合、定員管理、経営効率化、就職力の向上だけに限定されるならば、大学の目的についての根本的議論は置き去りになる。

日本の大学は、誰のために存在するのか。

18歳から22歳までの若者だけのためなのか。

企業が必要とする人材を育てるためなのか。

地域社会、成人学習者、高齢者、外国人、次の世代に対して、どのような責任を負うのか。

大学で学ぶ機会を、生涯にわたって開くことはできるのか。

AI時代において、専門知識だけでなく、判断力、謙虚さ、責任、想像力をどう育てるのか。

研究の自由と長期的な知識形成を、短期的成果を求める環境のなかでどう守るのか。

UNESCOの報告書は、これらの問いに具体的な一つの答えを与えるものではない。

むしろ、各国と各大学が、自ら答えを形成するための原則を示している。

おわりに――大学を変えるとは何を意味するのか

大学を変革するという言葉は、しばしば、新しい技術を導入すること、組織を再編すること、教育課程を改定することを意味する。

しかし、本報告書が求める変革は、それよりも深い。

それは、大学が何を価値ある知識と考えるのか、誰を学習者として迎えるのか、何を自由として守るのか、技術を何のために使うのか、社会や自然との関係をどう捉えるのかを問い直すことである。

大学は、変化する世界に適応するだけでは十分ではない。

その変化が望ましいものかを問い、別の未来を構想し、その実現に向けて知識と人間を育てる必要がある。

UNESCOの報告書は、高等教育を「世界的な共通善」として再確認する。

この言葉が意味するのは、大学が世界の外側に立ち、社会に知識を提供する機関ではないということである。

大学もまた、世界の一部である。

大学が生み出す知識、大学が育てる人間、大学が選択する価値は、社会と地球の未来を形づくる。

したがって、大学の目的を問うことは、私たちがどのような世界を望むのかを問うことにほかならない。

参考資料

UNESCO, Transforming Higher Education: Global Collaboration on Visioning and Action, 2026.

本報告書は、2022年の第3回UNESCO世界高等教育会議と、その後の国際的協議をもとに作成され、2026年3月12日にUNESCO本部で公表された。高等教育を、生涯にわたる質の高い教育を受ける権利の一部であり、世界的な共通善であると位置づけ、七つの指導原則と、制度、大学組織、学習の各レベルにおける変革の方向を提示している。